音楽教室の未来は?(その592)

**『 自分を合理性で鍛えるな  』**

 

みな様こんにちは。


『発表会写真撮影・ステージ写真撮影』のピアノアーテック312 

代表の都丸です。



 本日は11月8日付 朝日新聞朝刊から『仕事力』からです。

今月は脳科学者の中野 信子さんの2回目です。


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<前部省略>


近代以降は、合理主義が生活の中まで浸透してきましたが、これは、時代の流れが速くなったことに伴って、なるべく素早い意思決定を行い、競合する相手に先んじて行動する必要が生じてきたことによります。


<中略>


しかし、現代から先の未来では、その合理性はコンピューターや機械が担うようになるでしょうから、若い人は数学や英語のスキルを磨いてもあっけなく取って代わられます。


それならもう、機械ができることでは競わずに、人間の暮らしや歴史の中に引き継がれてきたものをうまく使いこなす、そういう知恵を磨く以外にないと思います。


それは何か?


人が持つ倫理観、美しさを感じる力、楽しいとか、笑えるとか、歌や音楽とか、生活の足しにはならないけれど豊かなものの価値をきちんと評価することです。


<中略>


ヒトの脳は、美しいものを美しいと判断する領域と、正しいものを正しいと判断する領域が同じというデータがあります。


つまり、元々人間は、美という非合理性を無条件に心地よく感じるようにできている生物でもあります。


そろそろ日本の文化に根ざした仕事の視点というものを見つける時が来たと思います。


就職でも転職でも、効率性を求める「社会圧力」をひとまず疑って、自分を生かすための自分の判断基準がどこにあるのか、探っていきませんか。



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実に素直で判りやすい文章だった。

言っていることは難しいかもしれませんが、文章そのものは小学生でも理解できる範疇ではないか?とも思います。



確かに、合理性は時代のスピードが生み出したものです。

でもそれによって我々の生活が便利になったのも確かですし、それに甘んじて時間の使い方を間違ったものにしている人もいるでしょうね。本末転倒というところでしょうか(笑)



しかし、例えば海外の美術館秘蔵の名画が「来日」すると、そこには長蛇の列ができ、あの40年前の「パンダ騒動」同様にゆっくりと鑑賞することすらできない状態が生まれます。


その現象は記事にもある「美しいものを美しいと判断する機能」が十分に働いているか、もしくは「流行り物は押さえておかないと!」というミーハー的な感覚なのかもしれませんが、それでも「アナログ」「非合理性」の象徴といえる絵画に接したいという思惑があるのですよね。



私は合理性を否定しません。それで経済が豊かになったことは事実ですし、生活が便利になったことも事実です。

何でもそうですが、間違った使われ方、解釈をされなければどんどん新しい思考や技術は登用されるべきだと思っています。


でも同時に、今まで残ってきた感覚や技術(非合理性も含め)もまた否定されるべきではありません。今まで残ってきた「理由」がそこにはあります。


それは日本古来の文化に根ざしているものかもしれませんが、私個人は何も日本にこだわる必要はないと思っています。


そして合理主義の中においても非合理性の感覚は大切にしていけば、それはそれで認められるべきものとも考えます。


写真というのはその最たる例だと思います。

写真を撮ると言う作業はアナログです。でも機械は超合理主義の塊と言えます(笑)


そして被写体もまた生身の人間だったり、自然の景色だったりします。


でもそれを見る(鑑賞)するのは生のプリントでもあるし、こうした画面の中でもあります。仮にプリントしたとしてもそれは合理主義の機械がプリントしたものがメインです。でもその指示をするのは生身の人間です。


こうしてみると写真を撮影する・見せるという一連の流れは本当に合理性と非合理性がうまく噛み合った良い例と言えます。

私はこれで良いのだと思っています。


ただ、思考力や判断基準という観点では合理主義はどうなのかな?という感覚なんですよ。

その辺は本当に難しいところですけどね。