音楽教室の未来は?(その589)

**『 多様性と個別性 』**

 

みな様こんにちは。


『発表会写真撮影・ステージ写真撮影』のピアノアーテック312 

代表の都丸です。



 本日は10月30日付 朝日新聞朝刊から『折々のことば』からです。


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多様性は…


多様な存在の外からその数を数えるような


一個の存在に対して生起するのではない。



                   エマニュエル・レヴィナス



多様性の尊重には、一人ひとりが異なる存在であることが前提となる。

人々が数で一括りにされるところに多様性はありえない。

人はその個別性においてこそ輝く。


20世紀フランスの哲学者は、誰かを別の誰かで置き換え可能とみるのは、人間に対する

「根源的不敬」であるという。


「全体性と無限」から


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ちょっと難しい話ですね。

そもそも「多様性」とは?


簡単に言えば「色々な種類がある」という解釈ですかね。


ここで言いたいのは「モノ」に対する多様性なのか

人間の「個性の集合体」としての多様性なのか明確ではありませんが、

後半の記述から見れば「人としての多様性」を謳っているものと推測できます。


「個性の尊重」と言いながらも結局は「変わり者」扱いであったり、

「派閥」という訳の解らない「組織」でまとまる政治家がいたりするのが可笑しいですね。

確かに「天才と馬鹿は紙一重」かもしれませんが、個性は絶対に否定されるものではありません。


もちろん、他人に危害を加えることや迷惑をかけることは論外ではありますが、それでも「変わり者」と言われる人に対する差別的な視線は存在します。


かくいう、私も人から「変わり者」と言われます。

それは思想やモノの言い方、性格などからかもしれませんが、私は「変わり者」と言われることにある意味で「快感」を覚えます。


しかし自分自身では「変わり者」という認識はこれっぽっちもなく、極めて「普通の人間」だと思います。

ただ「ツマラナイ」人間ではないなとも思っていますよ。


そうした「変わり者」が複数いることで「多様性」が生まれます。

これはある程度の人数が集まる組織、つまり、会社にしてもサークルにしても、はたまた音楽教室の生徒にしても同じことが言えますよね。


それを「一括り」にすることに問題があって、それによって多様性が犠牲になってしまうという論理なのだと私は解釈しました。


特に群れることが大好きな日本人は、他と違うことをすることに対して極めて違和感を持ちますね。


でもノーベル賞やイグノーベル賞などの受賞歴を見ても日本人はかなり個性的な人間が多数いることもわかります。そして各業界での発明や製品開発にしても日本は多くの分野で世界をリードしていると言えます。


そもそも日本人は世界から見れば「変わり者」なのだと思います。

その「変わり者」集団が多様性を失ってしまったのですから厄介ですね。


学校教育などにおいて、クラスを一つにまとめるのは担任の先生にとっては大変なことかもしれません。でも、そこで個性の芽を潰してしまうのは、その生徒の人生を潰してしまうことになりかねません。

そこで「どうして他の友達と同じでなければならないの?」と疑問を持った生徒は将来ノーベル賞候補になるのかもしれませんよね。


最後に生き残るのは「強い人間」と「変わり者」かもしれません。