音楽教室の未来は?(その558)

**『 聖書 』**

 

みな様こんにちは。


『発表会写真撮影・ステージ写真撮影』のピアノアーテック312 

代表の都丸です。

 

 

 本日は久しぶりに「ワールドピース株式会社」作野裕樹さんのメルマガの内容を引用させて頂きます。

 

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経営相談を依頼される方で、

マネジメントの問題を抱えているケースは多い。


たとえば、


・社員のミスが目立つ。

・社員が言うことを聞かない。

・社員が育たない、成長しない。

・社員が成果を出さない。


など。


その場合、まっさきにやっていただきたいのが「社内聖書作り」である。

聖書とはユダヤ教では「旧約聖書」をさし、キリスト教では主に「新約聖書」をさす。

イスラム教では「コーラン」をさす。


これらの宗教は、誤解を恐れず申し上げるならば、「神の前ではみな平等」という概念である。


たとえば、交通事故に遭ったとしたら、それは神の思し召しである。

病気になったら、それもまた神の思し召しである。


もっとわかりやすく言えば、

「まあ神がそう言った(考えた)のならしかたないよね」という概念である。


この概念は賛否両論あると思うが、良いところは、何が起きても「神のせい」にできることである。これを経営に応用するのである。



たとえば、会社で社員がミスをしたとしよう。


そこで、「バカヤロー!なにをやってるんだ!」と怒ったとしたら、社員は萎縮する。


さらに、社長と社員との壁は厚くなり、分断される。

ますますマネジメントは難しくなる。成果も出にくくなるだろう。


しかし、そこで、あなたの会社の「聖書」があったらどうだろうか?


社員の叱り方は変わる。


「●●君。社内聖書を読んでごらん?なんて書いてあるかな?今回の件、どう解釈するかな?」


と、社員に「考えること」を促すことができるようになる。

結果、自分の頭で考えるようになり、成長する。




図で表すなら、


(聖書なしのケース)社長VS社員 →敵対関係


(聖書ありのケース)聖書VS社長と社員 →味方関係


まあ、神と敵対関係になるわけではないが、少なくとも、立ち位置はまったく変わる。敵対者から「よき理解者」へと変わるのだ。「社内聖書」を作ることで、社内の雰囲気は劇的に変わるだろう。


社内聖書を作ることで、ミスも減るし、何より叱る回数も減ることでストレスからも解消される。結果、社長の時間も相対的に増える。重大事項に専念できるようになり、会社の業績もどんどんよくなる。



もし、あなたが社内聖書を作らず、毎回、社員を叱っているとしたら、それは酷な話だ。

社長としての仕事をしていないのに叱るのは単なる怠け者と言わざるを得ない。


もっと言えば、社長の仕事とは、「文化作り」とも言える。文化を作り、継承していくことこそ、社長の仕事である。その一つが「社内聖書」作りである。


社内聖書ができれば、社長がいなくても会社が回るようになる。

社員同士が「聖書」を元に、思考を巡らし始めるのだ。


たとえば、請求書を作るときに部下が上司にアドバイスを求めるとする。その際「社内聖書から考えると、どう思う?」と聞くことができる。


会社の業績をよくしたければ、ぜひ、「社内聖書作り」を試してみてほしい。

もちろん、はじめは完璧なものでなくてもよい。この世は「空」であり「縁起」で成り立っている。諸行無常。変わらないものは何一つない。


どんどん更新され、リニューアルされていくことを前提として、取り組み始めればいい。





作野裕樹(さくのひろき)

 

ワールドピース株式会社発行

 

【作野裕樹公式ウェブサイト】 http://www.sakunohiroki.com

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私も高校生の時に無料配布されている聖書を頂いており、そのまま放置していました。

ところが、ある日のテレビ番組で住所不定・無職の男性がラーメン店で住み込み修行を始め、一人前になるというドキュメントを放送していたのです。


その時の「主人公」の男性が着替えすら持たずに与えられた住まいに入り、明日からの希望を語っていました。ところが小さい袋がひとつ彼のそばにあり、それをリポーターが指摘すると中には聖書が。


「クリスチャンなんですか?」

との質問に


「いいえ。何日か前に駅前でもらたんですよ。読んでもいないけど、なんだか捨てられなくてね」


そう言って笑う表情がとても印象的でした。

その後の彼はどうなったか記憶が定かではありませんが、それをきっかけに「そういえば、自分も持ってるなぁ。。。」と本棚を探すと…


それから少しずつ読み始めたのですが、正直なところ「退屈」でした(笑)

なぜ、これが世界のベストセラーなのか?ここには何が書いてあるのか?が理解できませんでしたからね。


でも、キリストを題材にした映画が数多く存在し、そのうちのいくつかを観る機会もあったので何気なく見ていると聖書のもつ意味が少しずつ自分なりにですが理解できるようになりました。


誰にでもわかりやすい表記ですが、実に奥が深く、解釈の仕方によっては意見も分かれるかもしれませんが、難しいことは一切ありません。


私は神も宗教も信じておりませんが、それでも先に紹介した男性同様に、なぜか捨てることはできません。



さて…


記事にもある「社内聖書」ですが、どう解釈すればいいか?と悩みましたが適当な答えが見つかりませんでした。『社内規定』『マニュアル』とは違ったものであるとは解釈できますが、それでも「社内聖書」が持つ意味や存在感はそれら以上のものだと思います。


ただ、それだけを頼りにするのは疑問だし、どんどん更新することを前提にとは言うものの、それなら社員一人ひとりに徹底してもらった方が良いのでは?とも思います。


そもそも「社内聖書」は一般社会における「それ」とは違うものなのか?

独自色の強いものなのか?


どう考えたって「社会常識」の範囲でしかないでしょう。

それなら真の意味で「聖書」を読んで理解してもらった方がいいのではないか?

もちろん、会社に特定の宗教を持ち込むのは危険だし、私は反対ですが。


ただ、聖書と言えども「気遣い」と「思いやり」を持つことを重要視しているものと思えるし、私利私欲に走ることなく常に人々は「平等」であると教えているものとも思います。

こうした「人として」の「常識」を十分に理解して仕事をしているのならば何も「社内聖書」などは特別必要なものではなく、それぞれの会社や業界に必要な「マニュアル」だけで十分ではないか?



… でも、その「人としての『常識』」が希薄な世の中だから必要になったのか。。。