音楽教室の未来は?(その539)

**『 多くを与えられた者は多くを求められる 』**

 

みな様こんにちは。


『発表会写真撮影・ステージ写真撮影』のピアノアーテック312 

代表の都丸です。


なんだか急に初夏になりましたね

 

 本日は4月30日付けの朝日新聞夕刊『一語一会』より

お笑い芸人のパトリック・ハーランさんです。

 

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ハーバード大学で比較宗教学を学んだものの、卒業後の進路を決めあぐねた。福井県の小学校で働くことになったアメリカ人の幼馴なじみに誘われて日本へ。


英会話学校の講師をしながらアマチュア劇団の舞台に立つうち、本格的に役者を目指そうと決意し東京に移った。


そして知人を介して吉田真さんと出合い、お笑いコンビ「パックンマックン」を結成。


「僕の人生、ほとんど誰かの言葉で動いてきたんですけどね」


節目ごとに出会った様々な言葉でも、とりわけ色濃く記録に残っているのが高校の英語教師だったホーリー・クロンキー先生の一言。気性が荒く、怖い存在だった。



最初の出会いは小学生の頃。地元の高校生が出演する劇で子役を務めることになった。演出をしていたのがクロンキー先生で、その厳しさに度肝を抜かれた。

一生懸命頑張っている子供にむかって「何だ!それは!」「練習してないだろ!」と怒鳴りまくっていた。



高校生になり、その「怖いおばさん」と再会した。英語の授業を受け、演劇を教えてもらった。


「僕の成績はそれまでAばかりだったのに、どんなに頑張っても彼女がくれる評価はBとかBマイナスだった」


誰よりも上手く歌えて踊れているはずの舞台でも一番怒られた。


「ナニコレ?と不満でしたよ」


ある日の放課後「なぜ僕にだけ厳しいんですか?」と先生に猛然と抗議した。

すると先生はきっぱり言った。


「多く与えられた者は多くを求められるのです。優れたものをたくさん与えられているのだから、あなたに対する基準は他の人たちと異なります。あなた自身も自分に対する基準を上げなくてはなりません」


耳慣れない言葉の重みに圧倒された。


「それまでチヤホヤされてばかり。自分の可能性や素質、義務について諭されたのは初めてでしたね」



先生への感情は信頼に変わり、勉強も演劇も一層の高みを目指すようになった。

のちに、その言葉は新約聖書の引用と知った。


「自分が周りに何を求められ、何ができるのかなって考えます。あの一言がなかったら今の自分と全然違っていただろうな」



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ご存知、ハーバード卒のお笑いタレントですね。

彼はサイクルロードレースも好きでCSチャンネルの放送でもゲストで出演しています。


世界の中でのトップクラスの大学ですから、それまでの成績も良かったのでしょうね。

だから期待もされるし、周りからチヤホヤもされたのでしょう。


それに「喝」をいれたのがこの先生。

でも、単なる「喝」ではなく、きちんとした理論があってすごいと思います。


「どうして自分ばかり叱られる…」


こういう経験がある人は多いかもしれません。

高校野球漫画の金字塔『ドカベン』でも主人公の山田太郎は高校に入学しても洗濯係をさせられ、いつも練習に参加できませんでした。

それを山田太郎の妹が嘆き、監督や先輩の土井垣さんに当たるのでしたね。


今思えば、これも「多くを求められた」一つだったのでしょう。


私の周りにもいます。


小学生からピアノを始め、中学や高校では数々のコンクールで華々しい成績を収め、当然のように音楽大学に進む。


ところが初めのレッスンで先生から演奏法はもちろん、人間性まで否定されるような罵声を浴びせられ、泣いて帰宅した…


自宅に戻ると賞状やトロフィー、受賞した時の写真の中で微笑む自分がいる。

しかし、それら全て否定されてしまった。


・・・まぁ、当然といえば当然かもしれません。


でも、怒鳴られただけ救いです。

もし初めのレッスンでべた褒めされたら危険ですよ(笑)

おそらく先生は彼女に興味がなかったのでしょうからね。


「あぁ…上手、上手!」


演奏などろくに聞いてはおらず、終わったから拍手喝采する。

危ないですねぇ(笑)



ただ、自分を基準にしてしまうと、自分自身で「多くを与えられた者」という認識があるかどうか?それが問題です。周りから妬まれるような人間なのかな。。。



考えてみると普通の生活の中での同様のことがありますね。

新人社員や若手社員(部下)に対して


「そこまで出来るのだから、あとひと越えのことができるだろう?」


そう思うことって多くありませんか?

その理屈かもしれません。

自分が厳しくされた時、このクロンキー先生の言葉を思い出すようにしてみましょう。


でも、もうこの年になるとそう言ってくれる人もいないのが現実なんだろうけど…