音楽教室の未来は?(その503)

**『 知的メタボを脱出せよ! 』**

 

みな様こんにちは。


『発表会写真撮影・ステージ写真撮影』のピアノアーテック312 代表の都丸です。

 

 

本日は1月27日付 朝日新聞朝刊『リレーオピニオン』です。

英文学舎の外山 滋比古 さんです。


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今の学生は自力では飛べないグライダーのようなもの。教えられた知識を詰め込む優等生は少なくないが、いざ論文に書きたい事を書けと言われると途方に暮れる…


1983年に出版したエッセー「思考の整理学」の冒頭、僕はそんな話を書きました。問題提起のきっかけは、よく勉強する学生の論文が概して知識に頼り、面白くなかったこと。逆に知識には欠けていても独自性を感じさせる論文もあった。この違いは何か?


頭というものを知識をためこむ倉庫にするのではなく「創造のための工場」にするにはどうしたらよいか?考え直す時期に来たと思いました。


コンピューターが登場した頃、知識や情報を蓄える能力では人間はかなわないことがはっきりしましたからね。


30年もの間ロングセラーを続けているのは、最も切実な問題になっているからだと思うのです。豊かな時代になり、ゴミ減量や体重管理が当たり前になったように、情報過多で身動きの取れなくなった「知的メタボリック」の状況から脱してみましょう。



幸い人間は眠っている間に相当のことを忘れます。その上で、残った知識や情報を整理し、取捨選択する。捨てていく。頭の中をすっきりさせることで、新たな思考、発想を生み出す環境を整えているのです。


情報整理術というと、若い人向けの指南書も多く出ているようですが、整理することは価値判断に関わることで、一人一人全く違うもの。本来、マニュアルなどありえません。その意味で、実は中高年の方が円熟した知識の力で巧みに整理ができるのでは?


物忘れが増えても嘆く必要はなくて、むしろ、整理力が増すのだと考えれば良いのではないでしょうか?



知的メタボについて考える事は、知識とは何かの根本に向き合うことでもあります。生活からかけ離れた知識が高尚だという考えた根強くありますが、そんなものは悪しき教養主義過ぎない。


年を重ねることによって増していく知恵こそが本物の知識だと強調したいのです。

もっとも最近は、手っ取り早く理解したいという風潮が強まっているのを感じます。

哲学などの言葉は、よくわかりません。でもわからないという挫折から、知ろうとするエネルギーが生まれる。


「捨てる」ことと同時に「私たちは何を知りたいのか?」も考え直す時期だと思います。




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『捨ててこそ』の第3弾です。


私は「知識」は豊富であるに越したことはないと考えます。

なので頭を「知識」を詰め込む倉庫にしても構わないかと。

ただ、先生の言うように、それを活用しなければ意味がありません。


「知識」と「知恵」は大きく異なりますが、「知恵」は「知識」があればより一層効率的なものになるのは間違いありません。


「捨てる」というよりは、「徹底的に活用する」べきなのですね。

先生が表現している「知的メタボリック」という言葉に当てはめるとすれば、実際に体に溜め込まれた脂肪を運動することで燃焼させ、すっきりとした身体に仕上げるのと同じことですよね。


ですから、この『知的』というものも「運動」させる、つまり「活用」させることでスッキリとしたものに仕上がるというものではないでしょうか?


…少々、屁理屈になりました(笑)



しかし先生の言われる「情報整理術」は必見ですね。



『年を重ねることによって増していく知恵こそが本物の知識だと強調したいのです』

これはそのものです。


そして


『でもわからないという挫折から、知ろうとするエネルギーが生まれる』


これが一番大切。


いつも記していますが、疑問に思うことが本当に大切です。

どんなに小さなことでも『何故?』と思うことが必要です。


あの杉浦右京のように、どんな小さいことにも意識を向け、「キニナル」を連発することで犯人を追い詰める…


答えはそこにもあるように思えます。



いろいろなことを「捨てる」ことは必要です。

持っていても使わない・役に立たないものは捨てるべきです。


しかし『捨てる』と『活用する』はまた別物。

もし活用する術があるのであれば、捨てる必要もありません。


まぁ、『使うので捨てない』とも言えますが…(笑)